2016年12月29日木曜日

遠藤とギネスブックの歴史と思い出

こんにちは遠藤です。

ついに5日目になりました。

ギネス記録が見えてきました。

ギネスブックといえば数々の世界記録が収録されているわけですが、
あれって何でできたか知ってますか?


むかーしむかし。60年ちょっとくらい前。
アイルランドのとあるビール会社の社長さんが仲間と狩りに行ったそうな。
その時、一番速く飛ぶ鳥は何かと議論になったそうな。
結局、結論はでなかったそうな。
そこで社長さんは考えました。
「こんな感じの世界一集めて本にすればウケんじゃね?売れんじゃね?」
つって。
結果、1955年に、ギネスブック初版が発売されました。
なんでギネスかって?
それは社長さんのビール会社の名前が「ギネス醸造所」だったからです。


そんなギネスブックには数々の世界記録が記載されています。


遠藤とギネスブックの出会いは小学4年生のときでした。
ドバイに住んでた時ですね。

最初にギネスの存在を知った時、ランドセル遠藤はどうすればギネスに載れるか真剣に考えました。


「とりあえずどんな記録があるか見てみるか」
自然な発想です。

・アゴに牛乳瓶をのせて1マイル走
・一つの公園にムハンマドという苗字の人をたくさん集める

ちょっとあんまり覚えてない(笑)


にしても、いや、おかしな記録ばっかりやがな。

なんでそんな発想が出てくるのか皆目見当もつかない。


それでも載りたいランドセル遠藤は考えました。
とはいってもギネスブックには大量の記録が載っていて、
思いつくものはほとんど記録が存在するもの。
しかもそれは到底塗り替えられそうなものではありません。
(雑魚そうな記録も、やってみると意外とすごかったりします。)

遠藤も牛乳瓶をアゴに乗せて走ってみましたが、
記憶が正しければ記録どころか1マイル走ることすらできませんでした。


そして小学生軍団は考え付きました。
挑戦した記録は、
「体育館の天井に挟まっているバレーボールの数」
です。

今考えれば、結論は目に見えています。
バカです。本当にバカです。


そして勝負の昼休みがやってきました。
ギネス挑戦隊は、体育館の倉庫からボールを取り出します。
そして運動会の玉入れのごとく必死に天井に向かって投げ続けます。
しかしなかなかはまりません。
人手を増やして投げ続けます。
それでもボールははまりません。

普段ならドッヂボールなので地面に対して水平に飛び続けるボール。
この日はなぜか地面に対して鉛直に飛び続けるボール。


そして昼休みのチャイム…

キーンコーンカーンコーン…


はまったボールの数は10球にも満たなかった。
(記憶が正しければ)


こうして、先生に怒られることすらなく、
遠藤少年たちのギネスブックへの挑戦は幕を閉じました。
(当時は公式認定員を呼ばなきゃいけないことなど知りません。)


みなさんもギネスに挑戦するときは公式認定員をよびましょう。
そしてさすがにクソみたいな記録に挑戦するのはやめておきましょう。
社会的に危険です。



P.S.
こりないランドセル遠藤は次の日にも挑戦をしました。
投げるのではなく蹴って挑戦しました。
さすがに怒られました。
担任の先生が鬼の形相で飛んできて…
その後は…
キャーーーーーー




遠藤でした。